2016年 07月 24日
(7月3日) サンチャゴ最終日となりました。長い様でいてあっという間だった様な気がします。 9時、ゆっくり目に起きて朝食にいつものバルに行きました。 今日は最初近くの港湾都市、ア・コルーニャに行く予定だったのですが疲れていたのとやはり気力が落ちてしまっていたのとで市内でブラブラする事としました。 最初はまだ買い物をしていなかったので、昨日Yさんに聞いた郊外のショッピングセンターにバスで行ってみる事としました。「エル・コルテ・イングレス」はスペイン最大の小売業、デパートの他にもいろいろな形態のお店を運営しています。こちらはデパートと大型スーパーの併営店になっていました。(因みに日曜日ですが開いている様でした。) 最初にデパートでお土産を少々と自分様にご褒美を1個だけ買いました。そして、スーパーをブラブラします。地元の食材が売っているスーパーを見て歩くのは生活が覗ける様で楽しいものです。 ガリシア地方の海産物も沢山売っていました。中央の黒いものはペルセベス(Percebes)と言って、日本では「亀の手」とも言いますが、エボシ貝の一種で岩場にへばりついているのをはがして塩ゆでにして食べるガリシア地方の珍味です。 ペルセベスも大きいものは1kg1万円程もする高級食材です。(右下) その他にもアンコウなど、日本人にもなじみの深い食材が沢山並んでいました。 オリーブオイルだけでこれだけの種類があります。 売り場の横に小さなバルがあったので、惣菜を少し買ってつまみに一杯やりました。これもデパ地下の雰囲気ですね。 1階の本屋のマンガコーナーにはドラゴンボールが沢山並んでいました。 買い物を終えて、一旦宿で休んだ後市内散策に出かけました。 アラメイダ公園は市街から少し離れた場所にあって、そこからのサンチャゴ市内の眺望が良いと言われているのでそこに行ってみる事としました。公園の入り口の歩道の注意書き。ガリシア語で書かれているので良く分かりませんが、学童に注意して渡るようにと書いてある様でした。 派手な叔母さんが2人います。と思ったら、モニュメントでした。 市街の眺望。 確かに、この角度から見るサンチャゴ大聖堂も中々良いものです。 公園のベンチで休んでおられた日本人のご夫婦に声を掛けられました。“日本の方ですか?”色々とお話をさせて頂くと、自分達よりも随分と上の方ですがお二人でしばしば海外旅行に出かけるらしく、今回はスペインの北部を廻る旅という事でした。随分と話が合うお二人で、そのまま長い事お話をさせて頂き、又夕食をご一緒にという事でお別れしました。 Mさん達と待ち合わせの時刻にホテルを出ようとしたら、日本人の女性に会いました。京都から来られた一人旅のUさんです。とても活発な旅慣れた方でした。ゆっくりお話ができれば良かったのですが、Mさん達との待ち合わせがあったので立ち話になってしまいました。(その後、又会う事になります。) その後、広場でMさんご夫婦と落ち合いました。最初マノロに行こうとしたのですが日曜日でお休み。近くのタパスやに行きました。夕食でもタパスをつまみ乍ら随分と色々な話をし、アドレスを交換してお別れしました。又一つ出会いが増えました。 夕暮れのオブラドイロ広場を一緒に散策していたら、地元の楽隊が演奏していました。 いよいよ明日はビーゴに向けて出発の日です。 #
by don-francisco
| 2016-07-24 05:26
| サンチャゴへの道2016(到着編)
2016年 07月 23日
(7月2日) サンチャゴ到着4日目。 昨日の夜宿に帰ってきたら同じホテルに泊まっているKaさんからメッセージが残っていました。 “ミサで会えなかったですが、明日の9時に出発しますので、もしもお会いできない事があればと思いメッセージを残します。ありがとうございました。” 9時にお見送りをする積りで、すっかり馴染みになったバルでの朝食から宿に戻る途中の事でした。ふとバス停を見るとKaさん、Nさんのお二人が居られるではないですか!予定を早めてチェックアウトして、これからバスターミナルに行きそこから次の目的地、ポルトガルのポルトに行かれるのだそうです。なんという偶然。もう少し遅かったらお会いできなかったところでした。偶然を喜ぶのもつかの間、バスがやって来ました。バスに乗り込む二人をお見送りしました。 出会いと別れ・・・。カミーノの常とはいえ別れは辛いものです。 一息ついて、11時に昨日ミサに一緒に出た相模原の女子一人巡礼Yさんと待ち合わせの場所に行きました。一緒に博物館めぐりをして、お昼をご一緒する約束になっていたからです。 最初に行ったのは、「ガリシア民族博物館」(Museo do Pobo Galego)。こちらはサンント・ドミンゴ・デ・ボナバル修道院を改造してオープンした博物館です。入場料は3€ですが、65歳以上はシニア割引で1€になります。受付嬢は黙って1€にしてくれたのですが、嬉しくもあり寂しくもありちょっぴり複雑な気持ちでした。 建物を貫くこの円形階段はヨーロッパでも屈指のものらしいです。確かに見事でした。 ガリシアはガリシア語という独自の言語を持つほか、色々な面で他のスペインの地方とは一線を画す独自の文化を持っています。それらの文化を余すところなく展示品で伝える、とても分かりやすい博物館でした。作る側の伝える意思が良く分かって好印象を受けました。 リアス式海岸地帯の漁業のコーナー。 民族衣装のコーナー。 楽器のコーナー。ケルト文化の遺産でバグパイプが良く演奏される様でした。 移民のコーナー。ガリシア地方からは中南米に多くの移民が送りだされていきました。 このポスターからは1936年には月5便もの船便がビーゴから中南米に向けて出ていた事が分かります。 建築、住居のコーナー。オレオの模型がありました。 美術のコーナー。 1時間半ほど滞在して歩き疲れた頃、レストランがオープンする時間になったので行きました。行先はいつもの定食屋、マノロです。 自分はイカと野菜の煮込み、これにすっかり嵌っています。 メインは豚のロースト。 カミーノで知り合った同士、必然的に話題はカミーノの話になります。中々尽きないところを切り上げて、午後の部に向かいました。 午後は、広場を挟んで大聖堂と向き合う場所にある「巡礼博物館」(Museo de Peregrino)です。去年は工事で休館中でしたので初めて入ります。とてもモダンな博物館でした。 巡礼にまつわる様々な品々が幅広く展示されていました。 フィステーラでの再生をイメージした絵画もありました。 最古の巡礼ガイドブック。 巡礼路の地図。自分達はフランス部分の一番下、水色の線を辿って来た事になります。 巡礼の持つ杖。四国八十八か所でも、八十八番の大窪寺にこの様に遍路が使った杖を沢山集めた場所がある事を思い出しました。 サンチャゴ市街の鳥瞰図や、中世の投石器の砲弾なども展示されていました。中々面白い、かつ為になる博物館でした。 歩き疲れたので、Yさんと3人でバルでコーヒーを飲みました。そこへYさんのカミーノ仲間の人が通り掛かりました。やはりカミーノでは色々な友達ができるのですね。暫く歓談してからNさんとお別れして宿に戻りました。 食事は今日もスーパーで買った食材を4階の食堂で大聖堂の夕景を見ながら食べました。 これがサンチャゴ到着4日目の報告になります。 #
by don-francisco
| 2016-07-23 15:45
| サンチャゴへの道2016(到着編)
2016年 07月 23日
(7月1日) サンチャゴ滞在3日目。サンチャゴデコンポステーラでやらなければならない事のもう一つ、それはボタフメイロを見る事でした。大聖堂の中で香炉を揺らす儀式、昔は汗と汚れにまみれて到着する巡礼者の異臭を逃れるためだったそうですが、現在ではカテドラルのミサの大きな行事になっています。しかしながらそれが行われるのは週に1度、金曜日だけと決まっているのです。前回は金曜日が外れてしまったので見れませんでしたが、今回は是非見たく思っていました。今日がその金曜日なのです。 8時、いつものバルで朝食にしました。 お昼のミサまではまだ時間がありますので市内を散策する事としました。 大聖堂に入ってみます。 サンチャゴ像。到着した日は余りゆっくりと拝むことができませんでしたが、少し心の余裕もできてきて今日は心静かに椅子に座って向き合っていました。 次に巡礼者案内所に行きました。前回連れ合いが証明書を入れるケースを貰うのを忘れてしまったのでそれを頂きました。そして、隣接してあるRENFE(スペイン国鉄)の事務所で4日のビーゴへの移動の切符を予約しました。(コンピュータのトラブルで一旦出直す様になってしまいましたが、無事にゲットすることができました。) オブラドイロ広場。今日も団体の学生がゴールしたようです。 大聖堂。 その後思い立って、修道院の尼さんが作るというガリシアケーキを買いに行く事にしました。キンタナ広場を挟んでカテドラルの向かい側にあるこちらサン・ペラジョ修道院です。 反対側に回って入り口を探します。 ありました。奥の窓がその場所の様です。 窓は閉まっています。 当てずっぽうに横にある呼び鈴を押しました。心なしか奥の方で鳴った様なきがしました。窓口の奥の扉が開いて尼さんが顔を出しました。“Dos, porfavor.”(2コクダサイ。)“Tarta?”(ケーキデスネ?)この様なやり取りがあって、無事にサンチャゴケーキを2個ゲットすることができました。 お金を払いケーキを受け取ると再び窓は静かに閉じられました。1個13€、決して安くはありませんが市内で売っているものとは別物という評判です。 (帰国後の話しです。ケーキは大事に段ボールで囲って持ち帰りました。切って食べてみました。元々サンチャゴケーキはアーモンドを使ったシンプルな焼き菓子ですが、確かに市内のレストランなどで食べ慣れた味とは全く別物の上品な味でした。) その後少し土産物屋を覗いてから一旦宿に荷物を置きに戻りました。そして、12時からのミサに出席するべく再び大聖堂に向かいました。ボタフメイロの日は沢山の参列者がいて早く行かないと大変という事でしたので、早めに行きベンチで時間を待ちました。そうしているうちにKaさんNさんのコンビも来られましたので一緒に座って待ちました。 始まってから小一時間、中々ボタフメイロは始まりません。(敬虔であるべきミサに観光気分で来ている自分がミエミエです。恥かしい。)結局ないままにミサは終わってしまいました。????あれっって気持ちでした。不思議に思い近くの観光案内所で聞いてみたら、夕方19時半からのミサなのだそうです。ありゃありゃ、勘違いしてしまいました。 気を取り直して4人で昼食にする事にしました。女子大生から聞いていた美味しいという店に行きました。アラカルトのメニューを出されたのですが、ガリシア語で書かれていてさっぱりわかりません。(スペイン語でも分からないのですから尚更です。)結局いつもの様にメヌーの中から適当に選んで食べました。味はまぁまぁでした。 夕刻、再び来る事を約束して一旦宿に戻って休みました。時刻を見計らって再び大聖堂に来ました。席に着こうとしたら、ベガデバルカルセで会った女性の一人歩き巡礼Yさんがいました。聞けば、あの後サンチャゴまで80kmのポルトマリンまで歩いてきたのだそうですが、そこでそれまでに刺されたダニの傷が悪化してしまったのでそこら先を歩くのを断念、タクシーで来たのだそうです。ゴールを目前にしたリタイア、さぞや残念だった事でしょう。それにしても恐るべしダニの被害です。 そうこうする内に時間になりました。滞りなくミサが進んで、終盤いよいよボタフメイロの開始です。 (音が出ます。) 初めて体験するボタフメイロは感動しました。隣の連れ合いも感動した様で涙が出てきたと言っていました。 少し火照った頭をバルで冷やしてから宿に帰りました。 食事はいつもの様に食堂で市街の夕景を見ながらゆっくりと取りました。 ボタフメイロを見てから何か本当にこの巡礼旅に一区切りが着いた様な気がしました。 #
by don-francisco
| 2016-07-23 06:37
| サンチャゴへの道2016(到着編)
2016年 07月 23日
(6月30日) 到着したらやらなければならない事が色々とありますが、自転車の搬送の準備もその一つです。今日はビーゴに行き、自転車を輸送するための箱をゲットする日です。自分達が乗るエールフランス航空はビーゴからマドリッド経由でパリ、そして東京というルートになりますのでビーゴから飛行機に乗る事になります。ですので、搬送の為の箱を用意しておく必要があるわけです。 9時半の列車に乗るべく駅に行きました。切符を購入して構内のバルで朝食をとります。ビーゴまでは片道人間が11.1€、自転車は別に3€でした。 自転車も無事乗車しました。 自転車の持ち込みについての注意事項が書かれています。 「自転車の持ち込みは最大3台まで。100キロまでは無料、それを越えると3€。折りたたみ自転車の場合のサイズは・・・・。」などと、色々と厳しいルールがあります。(因みに長距離列車は持ち込みができません。) 走りだしました。リアス式海岸です。 50分程でビーゴに着きました。ビーゴは人口30万人、港湾と観光で栄えるガリシア州最大の都市です。 最初に目指す自転車屋に行きました。去年もこちらで箱を頂きました。箱をお願いしたところ、生憎別の客に上げる約束をしてしまったので手元にはないという事です。一瞬目の前が暗くなりました。しかし、親切にも他の店に電話をしてくれるというのです。直ぐに市内の他の自転車屋さんに電話をしてくれて、2台確保してくれるとの約束を取りつけてくれました。有難い事です。 早速その自転車屋さんに行き、直接お願いをするとともに、7月4日(出発の前日)まで預かって頂ける様にお願いをしました。どちらも快く受けて頂きました。おまけにこれからどうするのか、と聞かれて市内を観光してから食事をしてサンチャゴに戻ると言ったところ、名所やレストランを教えてくれました。レストランは分かりずらかったのでわざわざ地図を印刷してくれました。“電話しておいて上げましょうか?”と聞かれたのですが、“大丈夫です。”とお断りしました。どこまで親切なのでしょうか、スペインの人々は。 今日の目的が達成されたので後はゆっくりと市内観光をするだけです。まずは教えて頂いたスポットの一つ、お城に行く事にしました。麓にはケルト人の集落の遺跡があり、入ってみたかったのですが生憎と入り口が閉まっていました。 お城は山の上にあり、市街が一望できました。 教えらえたレストランでお昼を食べようと向かいましたが、途中で道を間違えてしまいました。 坂の町ビーゴは引き返すのも大変です。諦めて去年行って美味しかったタパスの専門店に行きました。 食事はいつも通りに美味しかったです。 帰りの列車は余裕をみて18:30に取ってあったのですが、時間が余ってしまったので16:30の列車に変更してもらいました。 17:15サンチャゴデコンポステーラに帰りつきました。駅です。 その後、宿に帰る途中のスーパーに寄って夕食の食材を買って戻りました。自転車は鍵のかかる専用の置き場に置きます。他にもたくさんのサイクリストが泊まっている様でした。 宿はホテル形式のホスタルと大部屋のアルベルゲが併設しています。ですので食堂やキッチンもあります。食堂がとても眺めの良い場所で、大聖堂や市内の夕景を眺めながらの夕食は滞在中の楽しみでもありました。 #
by don-francisco
| 2016-07-23 06:00
| サンチャゴへの道2016(到着編)
2016年 07月 22日
(6月30日) 出発してから丁度1か月経ちました。予定より2日早くゴールインしてしまったので、サンチャゴには6泊してのんびりと過ごす予定です。今日はフィステーラに行く事にしました。 フィステーラは言葉通りに「地の果て」、昔サンチャゴ巡礼を終えた巡礼者たちが当時地の果てと信じられていた場所で再生を誓った場所と言われており、その近くのムシアと共に番外の聖地です。いわばサンチャゴ版高野山とでもいうべきでしょうか。 9時のバスがあるので、宿の近くのバス停から乗り合いバスでターミナルに向かいます。 10分足らずでターミナルに着きました。 バス会社の「自転車の託送します」の宣伝です。何れも日本までは行きませんので残念な事です。 案内所の窓口で往復の切符を購入しました。一人当たり往復23.6€です。 その後は駅前のバルで朝食を食べながら時間を待ちました。(トーストと言ってるのにボーイはクロワッサンを持って来て知らんぷりをしています。抗議しても良かったのですが、もう1か月も旅を続けているとどうでも良くなってきていてスルーしてしまいました。) ターミナルは傾斜地に建っているので(サンチャゴデコンポステーラの町自体が緩やかな傾斜地に位置しています)バスが出るのは1階下の階になります。 乗客は結構多い様で2台のバスが出る様でした。 バスは定刻に出発しました。出発して暫くは高速道路を行きます。 小一時間すると海岸に出ました。 この辺りの海岸線は海が内陸まで深く入組んで日本の三陸海岸を思わせます。この様な地形を日本ではリアス式海岸という呼び方をしますが、その語源となったのはガリシア語で「潮入川」を意味する「リア」(複数形でリアス)という言葉であると聞きました。何気なく使ってきた言葉の語源がこの様な場所にあったという事を知り感慨深いものがありました。 最前列に陣取ったフランス語をしゃべる老齢の男性が出発してから絶え間なくしゃべり続けています。直ぐ後ろに座っていた男の人は溜まらず途中のバス停で後ろの人が降りた席に代わってきてしまいました。カミーノが終わって興奮状態にあるのでしょうか、しかし巡礼の最後の番外に行く訳ですから少し心構えは違っていても良いのではないかと思いながら延々と続く大声のおしゃべりを聞いていました。 バスはうねうねと続く海沿いの道をひた走り、時々地元の人が乗ったり下りたりしながら進んでゆきました。 出発して2.5時間、11時を少し回った頃でしょうかフィステーラに着きました。そこから岬までは3km弱あるのですが、疲れていたのと午後のバスを逃すとKaさん、Nさん、そしてKさんと約束している夕食に遅れる心配もあったのでタクシーで行きました。 岬の先にある0kmのモホンです。 十字架が立っていました。 1か月前にアルルを経ってようやくここまで辿りつきました。 海に続く崖に咲く野草を眺めながら、ここに来るまでの色々な事を思い出していました。 ・・・・。 誰かが再生を願って衣服を燃やした跡があります。(そうした古の風習ですが、現在は環境問題と防火の観点から禁止されているという事を聞きました。) 帰り道でクレデンシャルにスタンプを押している叔父さんと階段でギターを弾いている叔父さんが一緒にいたので声を掛けました。“去年もいたよね”と自分。“もう4年やってるからね”とギター弾き。“又来年来るからね”、“待ってるよ”…、こんな会話でした。1年前と同じ2人に又会える喜び、しかし1年の月日をお二人の顔に感じつつ、自分も1年分歳をとってるんだなと思いながら帰路に着きました。 15時の帰りのバスを待ちながら海沿いのレストランでお昼を軽く食べる事にしました。 マテ貝は蒸して食べます。 パドロン産の甘唐辛子(Pimentos de Padron)はガリシア地方の名産で、この季節が旬だそうです。 予定の時刻に帰りのバスに首尾よく乗車しました。 19時半にKaさん達と待ち合わせです。その前にカテドラルの前でKさんと落ち合って3人で会場のレストランに向かいました。 会場のレストランは自分が予約したのですが、昨日のお昼を食べた場所と同じ場所にしました。(お昼の定食がメインの様で、夜のメニューは昼と同じものでした。)そこにはKaさん達と道中一緒だったという韓国人の若いカップルも参加して、7人で静かにしかし熱く到着の喜びを分かち合ったのでした。(突然隣のテーブルが騒がしくなりました。巡礼者の誰かの誕生日だった様です。レストランからのサプライズの差し入れもあった様で盛り上がっていました。) これが到着2日目の報告になります。 #
by don-francisco
| 2016-07-22 20:17
| サンチャゴへの道2016(到着編)
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定年が近づいてきた頃知ったサンチャゴ巡礼。人生の秋に差し掛かりこれまでの来し方を反省しつつこれからの人生をサドルの上で考えた旅日記です。 by don-francisco カレンダー
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